Analogue-Synthesizer-Module ほとんど電子部品が無い中どうなるのか

まず、昔のような、Panel-部品の入手が困難です

また、電源Tranceなどの入手も困難です。そこはSwitching-Regulatorでも良いか?

まず、実験用電源と、実用化電源と作る予定です

2011年の頃は、まだ、Panel-部品も手に入りました

おそらく、『Analogue回路の自作、研究』が衰退してしまい、Panel-部品が無いのだと思います。

5[V]単一電源Typeに置き換わってしまった部分も大きいかと思います

果たして、古くからの部品は手に入るのかも疑問符である中、Analogue-Synthesizer-Moduleの制作を進めて行きたいと思うのですが、本も出ていますので、それに沿った形を入れて、紹介して行こうかとも思います

ここのところ、金属の値上がりが心配です

また、プラスチック部品も値上がっています

Analogue-Meter類に関しては、ほぼ入手が出来ないかも・・・

VUメータ用の部品も手には入れましたが在庫限りでした

Analogue・Mixerも作る予定です

昔の電源も、お城の波形を見たら考えてしまうか?

12[V]に対して0.1[V]の事です

写真には紹介出来ても、Caseも探しても無かった状態です

自作と言うことが非常に困難な時期かと思います

めげずに作れる人がどれだけいるかです

僕は、Analogue-Synthesizer-Module誰でも作れる物だとは思います

唯、Digital・Multi・Meterの4+1/2の物が必要です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気にしなければ気にならない値です

-40[dB](1/100)以下の値ですから・・・

それも、昔の大容量電解での値です

今所有している、小型大容量電解ではどうなるのかです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Analogue-Synthesizer-Moduleに出会ってから

初めて、AnalogueSynthesizerに出会ったとき、これぞ『Rock』に使えそうだと『コルグMS-20』を使って、Guitarに接続して、遊んでいました

僕の高校1年頃か・・・、『冨田勲氏』に出会い、弟子入りしました

もっぱら、Analogue-Synthesizer-Module作りでした

そんな中『Y.M.O』を作り、Concertもしましたが、始めた頃は、余り人気も無く、これでやっていけるのか・・・でした。

まだ、作詞作曲家として『ルビーの指輪』という歌が売れた頃がありました

まだ、『太田裕美』の歌を作りながらでした

それからしばらくして『Y.M.O』も忙しくなりましたが

僕で無い子が入ってしまい、坂本龍一とうまくいかなくなり、『Y.M.O』解散へとなりました。その後、『坂本龍一』はAmericaへ渡り、『Y.M.O』解散後、『HappyEnd』として活躍していましたが、僕も、Americaへ渡ってしまい、実に7年間の空白の時が流れました。

『HappyEnd』も良く、7年間の空白の期間を過ぎても活躍ができたと思っています

そんなかんなで、高校時代から、『Analogue-Synthesizer-Module』の製作に携わっています。DigitalSynthesizerも進めていましたが、今では、人気があるのかです

D.T.M』『D.A.W』とも余りきかない感じがしています

『Digital-Synthesizer』で、『Analogue-Modeling-Synthesizer』を形成しましたが、今一歩人気は出ませんでした。

何台か、『Analogue-Synthesizer-Module』は作っていますが・・・

僕の自宅には、ほとんど置いてありません

両親が商売屋をしていた関係で、自宅には、やっと製作に必要な機材が揃った所です

部品も一部これから揃える予定です

マイコンの部品は、ほぼ全て揃ったのですが、Analogue部品は、全部まで揃っていません

Analogue-Synthesizer-Moduleに出会ってから、およそ半世紀が過ぎ、やっと向き合えるか・・・とは思っています。電源装置から作らなければ・・・です

12[V] 3[A]電源を作ってから、かなり経つでしょうか・・・

その頃から、Analogue-Synthesizer-Moduleを作りたいとは思っていました

僕の頭の中には、『VCF』は三種類、CA3080Eを使った物、DiodeLadder型、TransistorLadder型と頭に有ります。

AntiLogの作り方も思い出しました。

きっかけは『Noise-Toaster』でした

何となく、『子供達へ夢を掛けて』という思いも有ります

と言うのは、『ラジオの制作』とか『初歩のラジオ』と言った、子供向けの雑誌が昔有りました。Level的には、中学生から高校生Levelだったでしょうか・・・

そんな雑誌の中に、『Microcomputer』の製作や『Analogue-Synthesizer-Module』の製作記事がありました。

また、連載で、自作の雑誌でも出してくれたら・・・とは思っています。

空しいことに、Digital-Synthesizer始め、Digital機器を作れる、技術者が少ないです。

また、『Analogue回路』から始めなければ・・・

なのかな・・・とも思っています。

この情勢の中、Tranceの電源は難しいか・・・と思いながら

電源装置から進めなければ・・・とも思っています

Synthesizerだけで無く、StereoのAmpも、多少携わって行こうかとも思っています

僕が作った電源の写真を載せます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Z80-CPU-Chipも古く、改良されているのかも・・・

Z80-CPU-Chip、/IORQに対して、暴走防止回路がついているのかも・・・。短い機械語のTest-Programでは/IORQ信号が出ません、おそらく、暴走防止のメカニズムが組まれている物では無いかという推測は出来ます。

そこがこれまでのZ80-CPU-Chipの違いかと思います。ある程度Systemを組んだ上で、0000h番地から動かすには、動くのでは無いかと思います。/RESETから、いきなりの短いProgram、例えばTime-Waitを動かすと、/IORQが出ないと言った、Troubleを起こすのでは・・・と推測されます。

Z80-CPUは古く、昔と大分様変わりしたのかもしれません。/IORQが出る様にする為には、やはりMonitor-Programを完成させる必要があります。

また、Busが重たいと誤動作を引き起こしてしまいます。Bus-Bufferの付け方にも創意工夫が必要なことが解りました。また、やたら付けても、Time Lagが生じてしまい、正常動作をしないと言ったTroubleが起きます。

やはり使っている部品や、配線などによる、浮遊容量、基板や電線の分際定数の影響を受けやすくなってしまっていると思います。近年ではSOP型の部品のChipをDIP型に載せているので、ICが割れて壊れると言うことは少ないです。

また、C-MOSはほとんど電流は流れません。電線や基板のPatternによって抵抗とCoilとCondenserの塊に成ってしまい、Troubleの原因になっていることは、解っていますが、配線の仕方や、Bufferの使い方により、かなり改善できることは解りました。

また、Netに載っていたCP/M-Master-Fileも削除されています。CP/M-Machineを作る人が多くなったことが考えられます。また、一部古い資料は簡略化されてしまっています。見ることも出来ない物も多いです。まさに、時代が変わったという、象徴かと思います。

古い日本語Manualは持っています。一部は、頭の中だけの記憶です。古い日本語の資料はCopyした物で文字が薄くなり消えかかっています。パソコンで起こし直さなければ・・・と思っています。

多分長い文章は、今のWord -Processor-Applicationでは、Memory-Overに成ると思います。

少しずつ、順序立てて、自分なりの文章で書いていかなければ・・・と思っています。

今時CP/Mと笑う人も中に入ると思いますが、誰もCP/M-FORTRAN等、今時持っている人は少ないと思います。Download出来ても、簡略化された、英文Manualだけですが・・・。

Z80-CPU-Chipは、大分改善されています。

また、6809でも、短いProgramでは、信号が消えると言ったトラブルは起きています。理由は、暴走防止でしょう。暴走による、CPUの破損を防いでいます。

今あるZ80や6809では、短くても、LOOPをたどることは出来ません。I/Oは、Latchをして、LED表示などで見ることは出来ますから・・・。

また、大きなI/O-Systemは、かなり考えさせられます。

Z80-CPU-Chipも様変わりしたと言うくらい、今でも、使われているCPUでは無いでしょうか。ザイログ社でも、Z80-CPU-10[MHz]の物も打ち出してきています。

ある意味8Bitの時代、Programの構造化他、非常に優れていた時代だったと言えます。

それだけMacro-Assemblerも複雑なことが出来ました。

時代の流れにより、Z80-CPUや6809-CPUは、昔の儘で無く、進化しています。

Z80-CPU[6MHz]について

Z80-CPU[6MHz]については、古いのですが、Z80-6[MHz]の40pを使ったMicrocomputerが少なく、その頃も中日電工さんCDZ-80と言うマイコンは良く出来ていました。何故か時代と共に、CPU-Chipが変わってしまったのか、僕のSystemに欠陥があるのか、CPUから信号が出ないこともあり、やはりまた、中日電工さんから動くMicrocomputerを仕入れてみて、My-SYSYEMとの違いを調べてみたいと思っています。手半田に問題があるのかもしれません。また、母の介護をしながらと、Analogue・Synthesizer本体の『Handmade』も有り、色々が遅れてしまっています。今は、Net時代で、周辺部品も簡単に入手できるかと思っています。ある意味『やる気』だけですよね。Z80だけでは無くMC6809-Machineもと思っていますが、Windows Updateに伴いMy-Systemが動かなくなりました。唯、中日電工さんの、KC8012-Machineはちょっとしたことで動く様になりました。その拡張基板も作り直しです。また、何故40p-Z80-CPUのSystemは動かなくなったのか疑問符です。ずいぶん動かすのも大変でしたが、実行Errorに悩まされています。中日電工さんのMicrocomputerで何か、原因が解れば・・・と思っています。また、My-Machineに取り掛かる前に、中日電工さん、ND80-Z3.5で動いてしまえば、My-Systemも、移してしまうかもしれません。My-CP/M何が、問題なのか、解明するより、動くCP/M-Machineを使った方が良いか・・・と思っています。まず、中日電工さんのキットを購入して、動いたらMy-Systemも考えてみようかと思っています。中日電工とは、僕付き合いが長いですね。代は、お爺さんから息子へと変わっています。Microcomputer自体も激変しています。Z80-CPUの門木でしたから・・・。動かすだけでも、かなり苦労していると思います。Z80-『C-MOS-CPU』何が、原因なのか、解らない部分が多いです。まず、動くMachineで確かめてからと成ります。僕の基板の作り方も大分変わりました。Z80は世代を超えられるのか・・・、また、Analogue・Synthesizer自体も同じくです。Analogue・Synthesizer大体行き渡ってしまい、『なんだこんな物か・・・』という人も多いかと思います。『moog』のSemi-Module、『KOLG』が担当しています。『KOLG』のModuleも余り売れないのか・・・、また、ROLAND社 SYSTEM-500も余り聞かなくなりました。

 

『フルボッコ』をくらい、ある意味で、人生は変わった

殺し屋を頼まれ、『フルボッコ』を食らい、手足のしびれ、手足のしびれが、後遺症!!

フルボッコ』の後遺症で、自衛官、『幕僚長辞任』、『復興庁長官辞任』、『免許等返納』に追いやられている。今も、長時間の作業は難しい!!

その中、結構仕事は忙しいが・・・、大型トラック、大型バイクは、もう乗れない、私語を起こしたら・・・と『責任』を感じて、自ら『辞任』『免許返納』だ。唯、『一級建築士』等、頭を使う仕事の資格は持っている。震災等での『人命救助』等に、Americaから借りていた、大型ヘリの操縦が出来なくなった。自明救助他、台風災害等でも、Americaの二枚バネの大型ヘリが使えず、かなりの影響は出ている。

まさか、『フルボッコ』を食らって、心疾患になってしまうとは・・・!!

フルボッコ』にしたメンバーは解った様だが、誰が頼んだのかは不明らしい・・・!!

誰が、『殺しや』を頼んだのか

僕が、今でも、電子部品他、パソコン関係に携わっているのが、大学教授らは気に入らない様だ!!

3~4年前、バスを降りたら、いきなりナイフを突きつけられ、山中に連れられていった。そこで抵抗したら殺されると思った。山中で、一旦、グループから距離を置いた形となったので、無い埠頭で襲いかかってくる奴らのナイフなどは全て落として、山中に放り投げた。その後僕は疲れて、力が抜け、フルボッコは食らった。しかし、元ボクサーの逆上、ボコボコにして、スマホ等で連絡を取ろうとしていたので、全て落として潰した。2人ほどは、何も手は加えなかった。その後そのグループは逃げていった。助かった理由に、かつて中国で、ジャキーチェーンとの共演を果たした、中国拳法、蟷螂拳をMasterしていたからだ、数人が襲いかかってきても、僕にはスローモーションに見えているから、順番は解る。それは、日本での、時代劇俳優でのかつての歯の無い刀での太刀さばきと同じだった。護身になる武道くらい身につけておくべきだとは思う。今でも、中国の田舎では、女性でも、太極拳という、日本のから手をラジオ体操の様に、幼い頃から、学んでいる、人は多い、昔は、その光景は、何処でも当たり前だった。今、一部の都市では見かけなくなり始めているが・・・。護身術程度の武道は、学んでおくべきだと思う。

Windows 98~Windows XPの時代、僕の気づき上げた物

Windows 98Windows XPの時代に僕の技術は、築き上げられた。

僕は、P-ROMと、LS625と言う、Main-OscillatorとCounter-ICを使い、Wave-Generatorと言う、非常にくだらないが、今に繋がる重要なDigital-Sampling音源の元を作った。また、電流型D/A-Converterによる、Digital・Control・Filterも作れた。Windows 98発号が良かった。Parallel・I/Oが使えたからだ。後に、Parallel-I/Oは必要なくなるが、Hardwareでは、そういった、原始的な、Oscillatorや、Filterを作っていた。回路シミュレータに出会い、自分で、そのProgramを考えた。自分なりに都合の良い物を考えた。それは、Transistorの直流回路に生かすことが出来たが、フィルタに使ったコンデンサの値が小さかったのと、入力する信号の振幅が大きかったことにより、失敗したが、Windows 98では、Americaでソフト音源が成功したという情報が手に入った。すぐ着目して、そのProgramを研究。結果は自己流の物になってしまった。当時出来たのは、GM音源という物だった。それも、Hardware音源は成功していた。パソコンのCPUの早いことを利用して、GM音源のソフト音源かに挑んだ。何度も失敗に終わったが、Serial・D/A-Converterが成功。Windows 98では、CPUも遅くWinows XPに乗り換えた。Software音源一号が成功した。GM-音源の儘、意外とオモチャでも、うまくいっていた。唯、なんとか、FilterのProgramは出来ない物か・・・、そこで、回路シミュレータが、役だった。MS-DOS用の物を、Windows版に作り替えた。そこで、Digital・FilterのHardware版が出来ないかだった。計算式は、パソコンに打ち込んだが、やはり失敗した。唯、もしかしたらCPUが早いから、音の信号が扱えるのでは・・・、発想を変えた。Serial-D/A-ConverterもAudio用を作った。Oscillatorの計算式はわかっていた。それに、4次ActiveFilterの計算式を入れてみた。Hardware的には失敗していた物が、成功した。それで、Software・Synthesizerは、次から次へと作った。Programの構造化を重ねてできるだけ、軽い物にしていった。また、AudioEffector用、D.S.Pは完成していた。当時D.S.Pの特許もとれた。また、8Bitではあったが、高速CPUに成る、Core・Processorも作れた。One・Core・Processorでは有ったが、特許はとれた。Programを構造化を進めたら、逆にHardware化出来るのでは・・・と思い立った。それも、成功した。ROLAND社にいた頃、SD-90と言うオモチャの音源は成功した。かなりいい音がしたようで、会社側から、業務用を担当してくれないかと言われた。そして挑んだのが業務用JUPITERだった。その姉妹機JUNOや、JUPITER-80に挑んでいた。勿論、YAMAHAでも、全く異なる音源8-Operator音源も完成させた。後に、エレクトーンへの採用となった。今でも、原型は変わっていない。世の中手では、ナノダイヤの粉末に出来るMachineが話題と湯成っていた。半導体へ使えないかと、すぐ買ってしまった。あまりにも、小型大容量LSIは次々と作れた。それも、かなり精度は上げられた。また、Memory素子の小型大容量化にも使えた。そんな原始的なことばかりやっていたら、いきなり、『中国』へ強制送還された。『中国』で、単に、Analogue・Synthesizerを作りたかったので、Oscilloscopeを作ったりしていた。『中国』では、『台湾』でお金になるからと『台湾』行きを進められた、『台湾』では、Digital・Multi・Meterや、Logic・Analyzerを成功させていた。完成して、お金になったので、Analogue・Synthesizerを作るために、『中国』へ返ったら、『台湾』では、学生運動が起きてしまった。『中国』へ渡った理由は、生活費が掛からず、Analogue・Synthesizerを作るのには、丁度良かった。Americaでも、僕が『中国』似いることを知っていた。8086を作るMachineが届けられた。それを使って、元々、機械語--->ニモニック変換表を完成させ、真の8086アセンブリApplicationなども作れた。また、日本への帰国の話もあった。『中国』から直接では無く、『日本』へは返った。そして、『中国製8086-Series』を、日本に送ったもらった。また、『韓国』や『中国』へ渡る機会もあった。日本でナノダイヤの粉末にするMachineは、『中国』にも、『韓国』にも送ってもらった。まさか半導体への使っているとは予想外だっただろう。今でも、韓国のサムソン電子でも、僕を信頼してくれて、新しい『5Gスマホ』も作った。中国では、Transistor他の部品の製造にも使っている。精密化が要求される中、ナノダイヤの粉末にするMachineは、画期的なMachineだ。コロナが広まり、日本でも、今は、ゆっくり、もったりしている。また、自分で作ったOscillatorや、Digital・Multi・Meterを自分で買うことに・・・、今の自作マシンに使える画期的な物ばかりだ。だから『中国製P-ROM-Writer』も買った。僕の作った物だし・・・。また、China-パソコンの基本ソフトもまともだ。僕が作った物だし・・・。結果、『AI』による、自動アップデートも働くし・・・。スマホにも、『AI機能』は入っている。今のところ、ほとんど手を出す必要はなさそうだし・・・。唯、SSDの1[TB]のパソコンと、SSDの512[GB]のノート型と作った。何処の会社とは言わない。今や、America製も、China製もほとんど関係は無い。ほぼ、同等の基本ソフトだから・・・。今は、記述的なことから、離れることも考えている。だから若手に伝えたい。多少、『馬鹿にされても』諦めたらいけないと・・・。自分の信念をしっかり持って、研究に挑めば、必ず成功すると思う。僕は、技術者と言うより、単なる、Electric Guitar狂いだった過去がある。だから技術者・・・と言うプライドより、自分で作れ!!と言われた、ROLAND社にある意味、大きな感謝である。自分なりの信念を、単に突き進めてきただけだ。結果、業務用JUPITERも、ROLAND社の言う価格で買った。YAMAHAエレクトーンも評判は高い。僕なりに今では、満足している。それが今の結果だ!!